東京地方裁判所 平成2年(ワ)8795号 判決 1992年2月27日
反訴原告
小椋秀子
反訴原告
小椋雅樹
右両名訴訟代理人弁護士
黒岩哲彦
反訴被告
青木慎介
反訴被告
中島一世
右両名訴訟代理人弁護士
伊藤皓
反訴被告ら補助参加人
興亜火災海上保険株式会社
右代表者代表取締役
笹哲三
右訴訟代理人弁護士
高崎尚志
同
君山利男
右訴訟復代理人弁護士
木村美隆
主文
一 反訴被告らは、反訴原告小椋秀子に対し、各自金四一五万七六〇五円及びこれに対する昭和五九年七月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
二 反訴被告らは、反訴原告小椋雅樹に対し、各自金四一五万七六〇五円及びこれに対する昭和五九年七月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
三 反訴原告らのその余の請求をいずれも棄却する。
四 訴訟費用は、これを三分し、その一を反訴被告らの負担とし、その余を反訴原告らの負担とする。
五 この判決は、反訴原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。
事実
第一 当事者の求めた裁判
一 請求の趣旨
1 反訴被告らは、反訴原告小椋秀子に対し、各自金一三五四万二一三七円及びこれに対する昭和五九年七月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
2 反訴被告らは、反訴原告小椋雅樹に対し、各自金一三五四万二一三七円及びこれに対する昭和五九年七月二八日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。
3 訴訟費用は、反訴被告らの負担とする。
4 仮執行宣言
二 請求の趣旨に対する反訴被告らの答弁
1 反訴原告らの請求をいずれも棄却する。
2 訴訟費用は、反訴原告らの負担とする。
第二 当事者の主張
一 請求原因
1 本件事故の発生
反訴被告青木慎介(以下「被告青木」という。)は、昭和五九年七月二八日午後一時四〇分ころ、静岡県加茂郡<番地略>先の国道一三五号線上において、普通乗用自動車(車両番号多摩五八ま四六八二、以下「加害車」という。)を運転中、前方不注視のため中央線を越え、反対車線を進行していた訴外小椋勝(以下「勝」という。)の運転する普通乗用自動車(車両番号足立五八も二一〇七、以下「被害車」という。)と衝突し、その結果、勝は、「頭部打撲、右額部・両膝部打撲擦過傷、右肩・右眼囲打撲皮下出血、腹部打撲、右上膊部打撲、頸部打撲」の傷害を負った。
なお、被害車には反訴原告小椋秀子(以下「原告秀子」という。)及び反訴原告小椋雅樹(以下「原告雅樹」という。)が同乗しており、本件事故のため、原告秀子は、「頭部・右顔面部・腹部・右膝部打撲、右眼外上部打撲挫切創、頸部捻挫、右肩・右側胸部打撲、下腿部打撲皮下出血」の傷害を、原告雅樹は、「頸部捻挫、頭部打撲、脳振盪症、左膝部打撲」の傷害を、それぞれ負った。
2 被告らの責任
本件事故は被告青木の前方不注視の過失によって生じたものであり、被告中島一世(以下「被告中島」という。)は本件事故当時加害車を運行の用に供していた者であるから、被告青木は民法七〇九条に基づき、被告中島は自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)三条本文に基づき、それぞれ本件事故によって生じた勝の後記損害を賠償する責任がある。
3 勝の治療経過及び後遺傷害等
勝は、本件事故のため、昭和五九年七月二八日から同年八月四日までの間(八日間)、森恒医院に入院し、右同日から昭和五九年九月八日までの間、(三六日間)、水野病院に入院し、昭和五九年九月九日から昭和六一年一〇月八日までの間(実治療日数三六二日)、右病院に通院したが、「頭痛、頭重、項部痛、めまい、眼精疲労など」の後遺症が残り、右後遺症は、後遺障害等級一四級と認定された(以下「本件後遺症」という。)。
また、原告秀子は、昭和五九年七月二八日から同年八月四日までの間(八日間)、森恒医院に入院し、右同日から昭和五九年八月一八日までの間(一五日間)、水野病院に入院し、昭和五九年八月一九日から昭和六一年一〇月二〇日までの間(実治療日数三三七日)、右病院に通院した。
4 勝の自殺及び本件事故との因果関係
勝は、本件後遺症の憎悪及びそのために退職を余儀なくされたことを苦にし、昭和六三年二月一〇日、自殺を図って縊死した。
したがって、勝の自殺と本件事故との間には相当因果関係があり、その寄与率は少なくとも五〇パーセント以上である。
5 勝の損害 金二七〇五万八四七四円
(一) 傷害による損害 金一二一一万三一七三円
(1) 治療費 金二六四万円
(2) 入院雑費 金二万五八〇〇円
ただし、一日当たり金六〇〇円として入院日数合計四三日分
(3) 休業損害 金六五八万八九二四円
ただし、一日当たり金八八六八円として昭和六一年一〇月八日までの七四三日分
(4) 賞与減給分
(イ) 昭和五九年七月三〇日から昭和五九年九月三〇日までの分
金一四万一六〇〇円
(ロ) 昭和五九年一〇月一日から昭和六〇年三月三一日までの分
金四八万二七〇七円
(ハ) 昭和六〇年四月一日から昭和六〇年九月三〇日までの分
金五三万二五〇〇円
(ニ) 昭和六〇年一〇月一日から昭和六一年三月三一日までの分
金三三万二九〇〇円
(5) 賃上減給分
(イ) 昭和六〇年度分
金一二万六三六〇円
(ロ) 昭和六一年度分(四月から九月まで)
金三万八五八〇円
(6) 賃上げに伴う時間外勤務手当減給分
(イ) 昭和六〇年度分
金三万五一一五円
(ロ) 昭和六一年度分(四月から九月まで)
金二万八六八七円
(7) 傷害慰謝料
金一一四万円
(二) 死亡による損害(ただし、(1)及び(2)の合計額の五〇パーセント)
金二五〇六万七〇九三円
(1) 逸失利益
金二八一三万四一八六円
勝は本件事故による自殺をしなければ二〇年間稼働可能であったから、年収金三二二万五一四〇円(一日当たり金八八三六円の三六五日分)を基礎に、生活費として三割を控除し、ライプニッツ方式(係数12.462)によって年五分の割合による中間利息を控除して、勝の逸失利益の現価を算定すると金二八一三万四一八六円となる。
(2) 死亡慰謝料 金二二〇〇万円
(三) 仮に、本件事故と勝の自殺との間に相当因果関係がない場合は、前記(一)記載の損害のほか、次の損害が認められるべきである。
(1) 逸失利益 金二〇六万七四七五円
勝は本件事故に遭わなければ、症状固定日である昭和六一年一〇月八日から六七歳になるまでの二一年間稼働可能であったから、労働能力喪失率五パーセント、年収金三二二万五一四〇円(一日当たり金八八三六円の三六五日分)を基礎に、ライプニッツ方式(係数12.821)によって年五分の割合による中間利息を控除して、勝の後遺症による逸失利益の現価を算定すると金二〇六万七四七五円となる。
(2) 後遺症慰謝料 金九〇万円
(四) 既払金 金一〇〇九万五九九二円
原告らは、本件事故の損害賠償の一部として、金一〇〇九万五九九二円を受領している。したがって、勝の損害残額は、(一)、(二)の合計金三七一八万〇二六六円から金一〇〇九万五九九二円を控除した金二七〇八万四二七四円である。
6 原告らの相続
原告小椋は勝の妻であり、原告雅樹は勝の子である。したがって、原告らは、勝が本件事故によって被告らに有していた損害賠償請求権をそれぞれその法定相続分である二分の一ずつ相続したので、それぞれ金一三五四万二一三七円の損害賠償請求権を有している。
よって、原告らそれぞれは、被告らに対し、被告青木については民法七〇九条に基づき、被告中島については自賠法三条本文に基づき、各自金一三五四万二一三七円及びこれに対する本件事故日である昭和五九年七月二八日から各支払済みまで年五分の割合による遅延損害金の支払を求める。
二 請求原因に対する被告らの認否
1 請求原因1から3までの事実は認める。
2 請求原因4のうち、勝が、昭和六三年二月一〇日、自殺を図って縊死したことは認め、その余の事実及び主張は争う。
3 請求原因5(一)、(二)の主張は争い、同5(四)のうち、原告らが本件事故の損害賠償の一部として金一〇〇九万五九九二円を受領していることは認め、その余の主張は争う。
請求原因5(三)の主張は争う。勝が自殺してその生存期間が確定した以上、もはや、それ以降の逸失利益を考慮する余地はない。
4 請求原因6のうち、原告らの身分関係は認め、その余の主張は争う。
三 被告ら及び補助参加人の主張
本件事故と勝の自殺との間には相当因果関係はない。すなわち、勝の後遺障害の程度は軽微であり、同人の長期にわたる休業損害は勝の就労意欲の喪失によるものであるにすぎず、同人の退職も転勤に伴う単身赴任の回避と退職金優遇制度の適用を受けるためのものである。
また、勝が自殺したのは、本件事故日である昭和五九年七月二八日から約三年七か月経過した昭和六三年二月一〇日であって、このことからしても本件事故と勝の自殺との間に相当因果関係を認めることはできず、また自殺は特別の事情に基づくものであるところ、本件傷害の程度等に照らし予見可能性も認められない。
四 被告ら及び補助参加人の主張に対する認否
すべて争う。
第三 証拠<省略>
理由
一本件事故の発生及び被告らの責任
請求原因1、2の事実はいずれも当事者間に争いがなく、被告らは、被告青木については民法七〇九条に基づき、被告中島については自賠法三条本文に基づき、それぞれ後記原告らの損害を賠償する責任がある。
二勝の治療経過及び勝の自殺等
1 請求原因3の事実及び同4のうち勝が昭和六三年二月一〇日自殺を図って縊死したことは争いがない。右争いのない事実に、<書証番号略>、証人水野昭平及び同石井由博の各証言、原告小椋秀子本人尋問の結果並びに弁論の全趣旨を総合すると、以下の事実が認められ、右認定を覆すに足りる証拠はない。
(一) 勝は、本件事故によって生じた傷害の治療のため、事故日である昭和五九年七月二八日から昭和五九年八月四日までの間(八日間)、静岡県加茂郡東伊豆町白田三八四番地所在の森恒医院において、同じく本件事故によって負傷した原告秀子とともに入院し、頭部打撲、右額部・両膝部打撲擦過傷、右肩、右眼囲打撲皮下出血、腹部打撲、右上膊部打撲、頸部捻挫との診断のもとに、創傷処置、湿布処置、頸部牽引などの治療や頸椎用軟性コルセットを着用するなどの措置を受け、昭和五九年八月四日、原告秀子とともに東京都足立区西新井六丁目三二番一〇号所在の医療法人社団水野病院(以下「水野病院」という。)に転院した。勝は、水野病院において、昭和五九年八月四日から昭和五九年九月八日までの間(三六日間)、入院し、同年九月九日から昭和六一年一〇月八日までの間(実治療日数三六二日)、通院し、他方、原告秀子は、同病院に昭和五九年八月四日から昭和五九年八月一八日までの間(一五日間)、入院し、昭和五九年八月一九日から昭和六一年一〇月二〇日までの間(実治療日数三三七日)、通院した。
なお、勝の水野病院での初診時における診断は、左膝蓋骨骨折、頭部打撲、頸椎捻挫であり、右眼瞼部には皮下出血が認められ、四肢痛及び頸部不快の訴えはあったものの、脳波に異常は見られず、右側頭部の血腫もすでになかった。
(二) 勝は、水野病院において、昭和五九年八月七日から昭和五九年九月三日まで右膝を環状ギブスによって固定されるなどの治療を受けたほか、頸椎捻挫に対しては鎮痛剤の投与等の理学療法や頸部牽引等の物理療法などを受けていたところ、昭和五九年九月一四日にはあぐらによる座位が、同年一一月八日には正座することがそれぞれ可能となり、昭和六〇年四月一二日には頸の動きは完全であると判断されるなど、身体の運動機能は順調に回復してきた。しかし、勝は、水野病院での治療期間中、頸部痛、頭痛、めまい、眼精疲労などの愁訴が続いたほか、勝の治療にあたった水野昭平医師(以下「水野医師」という。)に対し、「海に行こうとする途中、センターラインをオーバーしてバーンと車がぶつかってきた。」、「先生、正面からぶつかってきたんだよ。」等と、本件事故の態様についてしばしば口にしていた。
(三) 水野医師は、右のような勝の様子から、勝が本件事故によって相当の精神的ショックを受けたと感じ、受傷後一年位は治療経過をみまもることとし(ただし、水野病院における勝の診療録には、昭和五九年一二月一二日欄に「仕事を始めてみること」との記載がある。)、鎮痛剤、ビタミン剤、血液循環剤等の投薬、外用薬による対症療法、マッサージ等の理学療法を施し、昭和六〇年六月ころには、勝に対し、数回にわたって、就労することを勧めたが、勝は、「いやだめだ。」等と言って、就労することを頑に拒絶した。
(四) しかし、水野医師は、昭和六〇年一二月一一日ころ、加害車に付保していた任意保険の保険会社である同和火災海上保険株式会社(以下「同和火災」という。)の依頼を受けた株式会社損害保険リサーチの調査担当者である寒川節夫(以下「寒川」という。)から、「そろそろ勝の障害につき症状固定になってもよいのではないか。」という趣旨の問い合わせがあったことや、すでに本件事故日から一年ほど経過していたことなどから、このころには、勝の障害を症状固定としたうえで、後は後遺症として処理してよいと考えるようになり、昭和六〇年一二月一一日、勝の診療録に「そろそろ一年たつので後遺症として考えて処置したい、寒川節夫」と記載した。
また、水野医師は、勝が前記のように事故の態様をしばしば口にし、また、なかなか就労の勧めに耳をかさないことなどから、勝が本件事故による精神的ショックによって性格的に暗くなってしまったのではないかと思うようになり、昭和六一年三月一二日には、勝の診療録に「ディプレッション(抑うつ)」と記載した(昭和六一年八月六日にも同様の記載がある。)。
(五) 他方、寒川は、勝及び原告秀子の水野病院での治療が長びいていることから、昭和六一年一月ころ、勝宅を訪れ、勝らの病状等について聴取したところ、勝は本件事故の示談交渉について同和火災等の加害者側の者に対して相当の悪感情を抱いており、訴訟問題に発展させる用意がある等の意向を示していたが、寒川の長時間にわたる折衝・説得の結果、現時点では厳寒の季節のため疼痛症状が軽減しないが、三、四月ころになって多少暖かくなる季節になったら医師に対して後遺症診断を要請し診療を打ち切る旨、答えた。
しかし、寒川が、昭和六一年五月ころ、再度、勝の意向について調査したところ、勝は、寒川に対し、後遺症診断を受けること自体には反対しないが、原告秀子の休業損害や勝の昇給及び賞与の減収の賠償についての回答が加害者側から得られておらず、これらについての回答を得たいと強く要望している旨、また、その回答がない以上、後遺症診断も受けられない旨の意向を告げた。
(六) 他方、勝の就業先である日産ディーゼル工業株式会社(以下「日産ディーゼル」という。)川口工場の総務課の石井由博(以下「石井」という。)は、従前勝が勤務していた川口工場の閉鎖・移転に伴う人員整理の担当をしていたところ、本件事故のため長期欠勤となっていた勝の現況を調査するため、昭和六一年五月ころ、勝宅を訪れ、同人との間で復職のめどについての話をし、その際、勝が復職したら群馬工場に配転になること及び復職する意思があるのなら復職願を提出するよう告げた。
勝は、その後も石井と何度か復職についての話をしたが、その際、石井が勝に対して仕事ができるのではないかと水を向けても、仕事ができない旨を二時間にわたって説明することもあった。
(七) このような経過の中で、勝は、昭和六一年六月末ないし七月始めころ、日産ディーゼルの人事部長宛てに、「現在も一週間に三回から四回通院加療中ですが、今後復職し就労しながら通院加療し経過観察をしたく思う」旨記載した復職願を提出したが、日産ディーゼルからは、一週間に三、四回の通院を要する状態では復職は不可能であり、就労に十分耐えうる健康状態に回復した時点で復職を再検討するとの回答がなされ、結局、勝は、工場移転に伴う退職金の優遇制度を利用して、昭和六一年九月三〇日付けで退職することになった。
(八) 勝は、その後も水野病院での治療を続けたが、昭和六一年一〇月八日、水野医師によって右同日をもって症状固定の診断がなされ、「頭痛、頭重、項部痛、めまい、眼精疲労など」の後遺症は自賠法施行令二条別表等級第一四級一〇号と認定され、また、原告秀子の後遺症診断がされたのは昭和六一年一〇月二〇日であった。
(九) 勝は、日産ディーゼルを退職後、職業安定所へ行って就職活動をしたこともあったものの、気分の悪いときには家で寝たり起きたりの生活をし、天気のいいときには近くの公園に出かけるなどしていたが、昭和六三年二月ころには、「最近眠れない、食欲もない、気分が悪い。」等と原告秀子に言っていたところ、昭和六三年二月一〇日、「ちょっと出掛けてくるね。」と言って出かけたまま、同日午後六時ころ、自宅の近くの物置内において、自殺を図り縊死した。
2 右認定の事実によれば、勝の右膝や頸部等の運動機能は、水野病院での治療で順調に回復してきたものであって、勝の診療録の昭和五九年一二月一二日欄に「仕事を始めてみること」との記載があり、水野医師も、昭和六〇年六月には、就労可能ではないかと考えており、また、昭和六〇年一二月ころには、症状固定としてよいと考えていたこと等に照らせば、勝の傷害は、遅くとも昭和六〇年末ころには整形外科的に治癒した(その後の治療内容は、牽引とマッサージだけである。)と認められる。しかし、その後も、本件事故態様が、被告青木の一方的過失に基づくものであり勝に何ら落度のないものであるなど、勝にとって相当の精神的ショックを与えるものであったこと、自己及び原告秀子の賠償問題について十分納得いく補償交渉ができていなかったこと、更には自己の意思に反する就労への勧め等がたびたびなされたこと等の理由によって、勝は、他罰的な心理状態となり、これに従来勤務していた工場の閉鎖・移転に伴う転勤の話が重なり、いわゆる災害神経症的状態を経て、昭和六一年春ころにはうつ病状態となり、このような状態が水野病院での治療終了後も継続する中自殺に及んだと認められるのが相当である。
ところで、鑑定嘱託の結果によれば、一般に、自らに責任のない事故で傷害を受けた被害者は、自らにも責任のある事故で傷害を受けた者に比して、被害回復についての欲求が強く、受傷時の精神的ショックがいつまでも残りがちで、本人の性格的傾向やその他の生活上の要因と相俟って神経症状態に陥り、更にはうつ病状態に発展しやすいこと、また、うつ病患者の自殺率は、諸研究によると約一五パーセントとされ、全人口の自殺率との比較では約三〇倍から約五八倍にも上ると報告されていること等が認められる。
したがって、勝が自殺に至った前記経過とこれらの事実とを考え併せれば、水野病院における昭和六〇年末ころまでの治療により整形外科的には治癒したといえる勝が、その後災害神経症的状態を経てうつ病状態に陥り、更には自殺を図って死亡したとしても、これらは、被告らのみならず、通常人においても予見することが可能な事態というべきであるから、勝の災害神経症的状態ないしうつ病状態と本件事故との間、更には勝の自殺による死亡と本件事故との間には、いずれも相当因果関係があるというべきである。
もっとも、身体に対する加害行為と発生した損害との間に相当因果関係がある場合においても、その損害が加害行為のみによって通常発生する程度、範囲を越えるものであって、かつ、その損害の拡大について被害者の心因的要因が寄与しているときは、損害賠償額を定めるにつき、民法七二二条二項を類推適用して、その損害の拡大に寄与した被害者の右事情を斟酌するのが相当であるところ、前記認定の事実関係によれば、本件事故による直接の身体傷害に比して治療期間、不就労期間が長期に及んでおり、勝の損害が本件事故のみによって通常発生する程度、範囲を越えていることは明らかであり、かつ、勝が自殺を図って死亡した点はもとより、災害神経症的状態ないしうつ病状態に陥った点についても、慢性化した自覚症状に対して執拗にこだわるといった勝の性格的傾向等の心因的要因が寄与していることが認められる。したがって、勝が本件事故により被った損害額の算定に当たっては、本件事故の態様、それによる勝の精神的ショックの程度、勝が右ショックから立直ることができた蓋然性の有無・程度、更には勝の傷害の部位・程度及び治療経過、事故後の状況等の諸事情を総合考慮した上で、その損害の拡大に寄与した勝の右心因的要因に応じて、後記のとおり、その損害額を減額するのが相当である。
三勝の損害
1 傷害による損害
(1) 治療費 金二一九万六七九五円
前記認定によれば、勝は、昭和五九年七月二八日から同年八月四日までの間、森恒医院に入院し、右同日から昭和五九年九月八日までの間、水野病院に入院し、昭和五九年九月九日から昭和六一年一〇月八日までの間、右病院に通院したことが認められる。しかし、勝が遅くとも昭和六〇年末ころには整形外科的には治癒したと認められることは前述のとおりであるから、本件事故と相当因果関係のある治療費は、本件事故から昭和六〇年一二月までの治療費に限られるというべきである。
<書証番号略>によれば、昭和五九年七月二八日から昭和五九年八月四日までの森恒病院における治療費は金三九万六七三〇円と認められ、同じく<書証番号略>によれば、昭和五九年八月四日から昭和六〇年一〇月一七日までの水野病院における治療費は合計金一六八万四三八〇円と認められる。そして、同じく<書証番号略>によれば、昭和六〇年一〇月一八日から昭和六一年一月一四日までの水野病院における治療費は金一三万六一〇〇円と認められるところ、右期間の通院実日数は四〇日、うち昭和六〇年一二月末日までの通院実日数は三四日であるので、昭和六〇年一〇月一八日から昭和六〇年一二月末日までの治療費は、右金一三六一〇〇円の四〇分の三四と考えるのが相当であるから、金一一万五六八五円とするのが相当である。したがって、本件事故と相当因果関係のある治療費は、合計二一九万六七九五円と認めるのが相当である。
(2) 入院雑費 金二万五八〇〇円
前記認定によれば、原告は森恒病院及び水野病院において延べ四三日にわたり入院していることが認められ、勝は右入院中一日当たり金六〇〇円の入院雑費を支出していると推認できるので、入院雑費は原告主張どおり金二万五八〇〇円とするのが相当である。
(3) 休業損害 金四五四万九一七〇円
前記認定によれば、勝は、遅くとも昭和六〇年末ころには整形外科的には治癒したが、その後も災害神経症的状態ないしうつ病状態で就労意欲を喪失しており、全く就労しなかったことが認められる。しかしながら、前記認定の事実関係によれば、右治癒後の不就労はもとより、右治癒前の不就労についても勝の心因的要因が寄与していると認められるから、勝の休業損害等の逸失利益の算定に当たっては、勝の心因的要因を斟酌し、昭和六〇年三月までの期間(二四七日間)については一〇〇パーセント、昭和六〇年四月から同年一二月までの期間(二七五日間)については六〇パーセント、昭和六一年一月から同年一〇月八日までの期間(二八一日間)については四〇パーセントの限度で、これを認めるのが相当である。
<書証番号略>によれば、勝は本件事故前三か月である昭和五九年五月から同年七月までの間、合計金七九万八一八三円(一日当たりの収入は金八六七五円。円未満切捨て。)の収入を得ていることが認められるので、右収入を基礎として、本件事故日である昭和五九年七月二八日から原告らの主張する昭和六一年一〇月八日までの期間について右割合で算定した金四五四万九一七〇円が、勝の休業損害と認めるのが相当である(8,675×247+8,675×275×0.6+8,675×281×0.4)。
(4) 賞与減給分 金一一一万〇二五七円
<書証番号略>によれば、勝は、日産ディーゼルを休職中、原告主張のとおり、賞与の減給がなされたことが認められるところ、原告主張の期間について前記割合で賞与減給分を算定すると、その額は次のとおりである。
(イ) 昭和五九年七月三〇日から昭和五九年九月三〇日まで
金一四万一六〇〇円
<書証番号略>によれば、勝は、右の間、日産ディーゼルを欠勤し、昭和五九年四月一日から同年九月三〇日までを対象とする賞与につき、金一四万一六〇〇円の減給を受けたことが認められる。
(ロ) 昭和五九年一〇月一日から昭和六〇年三月三一日まで
金四八万二七〇七円
同じく<書証番号略>によれば、勝は、右の間、日産ディーゼルを欠勤し、右期間を対象とする賞与につき、金四八万二七〇七円の減給を受けたことが認められる。
(ハ) 昭和六〇年四月一日から昭和六〇年九月三〇日まで
金三一万九五〇〇円
同じく<書証番号略>によれば、勝は、右の間、日産ディーゼルを欠勤し、右期間を対象とする賞与につき、金五三万二五〇〇円の減給を受けたことが認められるが、これを基礎に前記割合に従って算定すると金三一万九五〇〇円となる(532,500×0.6)。
(ニ) 昭和六〇年一〇月一日から昭和六一年三月三一日まで
金一六万六四五〇円
<書証番号略>によれば、勝は、右期間、日産ディーゼルを欠勤し、右期間を対象とする賞与につき、金三三万二九〇〇円の減給を受けたことが認められるが、これを基礎に前記割合に従って算定すると金一六万六四五〇円となる(332,900÷6×3×0.6+332,900÷6×3×0.4)。
(5) 賃上減給分 金七万七九八四円
<書証番号略>によれば、勝が昭和五九年七月三〇日から昭和六〇年三月三一日までの間休職しなければ、昭和六〇年度において月額金一万〇五三〇円の賃上げがあったことが認められ、<書証番号略>によれば、同じく昭和六〇年四月一日から昭和六一年三月三一日まで休業しなければ、昭和六一年度において月額金六四三〇円の賃上げがあったことが認められるところ、これを基礎に前記割合に従って算定すると、昭和六〇年度分は金六万九四九八円(10,530×9×0.6+10,530×3×0.4)、昭和六一年度分は金八四八六円(円未満切捨て。3,536×6×0.4昭和六一年度の賃上げは昭和六〇年度の就業実績を前提としているから、昭和六一年度分を算定するにあたっては、月額三五三六円(円未満切捨て。(6,430÷12×9×0.6+6,430÷12×3×0.4)を基準として算定すべきである。)、合計金七万七九八四円となる。
(6) 賃上げに伴う時間外勤務手当減給分 金二万一七六六円
<書証番号略>によれば、本件事故前三か月間の時間外勤務の状況に照らして算定された昭和六〇年度賃上げに伴う差額分は、合計金八七七九円であり、一か月当たり金二九二六円(円未満切捨て)と認められ、<書証番号略>によれば、同じく昭和六一年度賃上げに伴う差額分は、合計金五五八一円であり、一か月当たり金一八六〇円(円未満切捨て)と認められるところ、これを基礎に前記割合に従って算定すると、昭和六〇年度分は金一万九三一一円(円未満切捨て。2,926×9×0.6+2,926×3×0.4)、昭和六一年度分は金二四五五円(円未満切捨て。1,023×6×0.4昭和六一年度の賃上げは昭和六〇年度の就業実績を前提としているから、昭和六一年度分を算定するにあたっては、月額金一〇二三円(1,860÷12×9×0.6+1,860÷12×9×0.4)を基準として算定すべきである。)、合計金二万一七六六円となる。
(7) 傷害慰謝料 金一四〇万円
本件事故の内容、勝の傷害の部位・程度及び治療経過、入通院の期間、後遺症の内容・程度、昭和六一年一〇月九日以降死亡時までの労働能力喪失による逸失利益の請求がされていないこと、その他、本件訴訟の審理に顕れた一切の事情(ただし、勝が自殺したことは除く。)を考慮すると、勝が本件傷害によって受けた精神的苦痛を慰謝するには金一四〇万円をもって相当とする。
2 死亡による損害
(一) 逸失利益 金二三一四万七一五二円
前記認定及び弁論の全趣旨によれば、勝の本件自殺時における年齢は満四七歳(昭和一五年九月六日生)であり、本件事故を原因として自殺をしなければ満六七歳になるまでの二〇年間稼働可能であったと認められるところ、原告は本件事故時満四三歳であったから、当時の年収金三二二万五一四〇円(一日当たり八八三六円の三六五日分)を基礎にして、生活費として三割を控除し、ライプニッツ方式(係数は、13.799から3.546を控除した10.253)によって年五分の割合による中間利息を控除して、勝の逸失利益の本件事故時の価額を算定すると金二三一四万七一五二円(円未満切捨て)となる。
(二) 死亡慰謝料 金二二〇〇万円
本件事故の態様、勝が本件事故によって受けた精神的ショックの程度及び自殺にいたった経緯等、その他、本件訴訟の審理に顕れた一切の事情を考慮すると、勝が本件傷害によって受けた精神的苦痛を慰謝するには金二二〇〇万円をもって相当とする。
(三) 勝の自殺による死亡については、前記のとおり勝の心因的要因が寄与しており、その損害額の八割を減額するのが相当であるから、前記(一)及び(二)の合計金四五一四万七一五二円の二割である金九〇二万九四三〇円(円未満切捨て)が本件事故と相当因果関係のある損害とするのが相当である。
よって、本件事故によって勝に生じた損害は、傷害による損害金九三八万一七七二円と死亡による損害金九〇二万九四三〇円の合計金一八四一万一二〇二円である。
3 原告らの相続等
原告らが勝の妻及び勝の子であることは当事者間に争いがない。したがって、原告らは、勝が本件事故によって被告らに有していた損害賠償請求権をそれぞれ二分の一ずつ相続したと認められるころ、原告らが本件事故の損害賠償の一部として金一〇〇九万五九九二円を受領していることは当事者間に争いがないから、結局、原告らは、それぞれ勝の残損害額である金八三一万五二一〇円の二分の一の金四一五万七六〇五円の損害賠償請求権を有している。
四結論
以上の事実によれば、被告らは、原告らそれぞれに対し、各自金四一五万七六〇五円(合計八三一万五二一〇円)及びこれに対する本件不法行為の日である昭和五九年七月二八日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払う義務がある。
よって、原告らの被告らに対する各請求は、右の限度で理由があるから認容し、その余はいずれも棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言については同法一九六条を、それぞれ適用して、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官稲葉威雄 裁判官石原稚也 裁判官見米正)